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川は海の恋人

57年ほど前フォークグループのフォーククルセイダースの『帰ってきたヨッパライ』が空前の大ヒットとなった。一年契約の元レコード2枚目に朝鮮民謡『リムジン河』を選び、日本語に訳し『イムジン河』の名称にした。しかし発売直前に朝鮮総連からクレームが入りレコード会社は急遽発売禁止とした。禁止となった言葉♪~誰が祖国を分けてしまったの~に大激怒。誰が…は~米ソ代理戦争~リムジンガンは南北分断の38度線上にあり、リムジンガンの歌詞にも~水鳥は自由に飛び交うのに、なぜ故郷に帰れぬ~と歌う。祖国分断の象徴が河となり脱北者は今でもこの河を命を懸け泳いで韓国へ渡る。

 契約上2枚目レコード即日発売の為にフォークルメンバーは録音室に閉じ込められ、作曲者加藤和彦(故)はオープンリールの録音テープ『イムジン河』を反転して作曲したのが「悲しくてやりきれない」♪~胸に染みる空の輝き 今日も遠く眺め 涙を流す♪…サトウハチロウが作詞し大ヒットとなった。

 空知由仁町の丘の麓に小さな川がある。ヤリキレナイ川と看板に書いてある。アイヌ語でヤンケ・ナイは鉱泉が湧いて魚が住めないと言うこと。丘の上には温泉ユンニの湯があり馬追(マオイ)と呼ばれ、道の駅マオイの丘周辺の地下の水脈が千歳美々ワールド周辺にも流れる。水脈が豊富!が決め手となり複数主要企業による自動運転等に使われる半導体工場「ラピダス」が4年後に操業。

 鮭が大量に遡上する千歳はアイヌ語でシコツ。千歳川で鮭鱒を捕獲するインデアン水車(1896年始動)。この捕獲水車はアメリカ西海岸コロンビア川でアメリカ先住民の漁獲法から作られた。

 千歳川の名水内別川は長沼へ定量の農業用水を別用水路で供給。1897年千歳村から長沼へ数軒の農家が分村して権利分割のようだ。千歳も川の水を使える量に決まりがあり、自衛隊や工場、空港など増えたため、恵庭から買ってくると聞く。買うと言えば、昨秋独りドライブで通過した十勝中札内に売買川(ウリカイカワ)がある。アイヌ語ではウウエガリ・プ~集まる処。ナニが集まるのか?

 恵庭の漁川~アイヌ語でイチャニ川は鮭の産卵処。漁岳登山は川を上流への沢登り。山道途中で川が小さくなりやがて水の流れが消える。山の一点からの水は海へと流れる~川は海の恋人。【田所】

 写真:由仁町・日刊工業新聞・十勝毎日新聞