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朋あり 遠方より来る

 生家は南部藩氏(岩手県盛岡市)で、クラーク博士が米国へ還った後の明治10年札幌農学校(北大)第2期生で、同期の宗教家内村鑑三氏やアイヌ語の植物名研究者宮部金五氏とも親交があり、札幌から上京する際には千歳村の旅館で内村氏らと熱く語り合ってたようだ。

 アメリカやドイツで農政学を学び、後に国際事情に精通していて、国際連盟次長(1920)や東京女子大学初代校長や札幌農学校の教授職にも就く。

 新渡戸氏代表作に英訳「武士道」が有名である。鎌倉時代以来の儒教の影響を受けての武士の魂について書かれたもので、「義を見てせざるは勇なきなり」などの義・勇・仁・礼・誠などの武士道精神が論説され、海外での日本人を学ぶバイブルとして評価されており武士道と言わば大和魂でもある。

 札幌市内(中央区)に新渡戸稲造記念公園がある。遊具も目立たない佇んだ小さな公園に記念碑や説明看板があり、記念碑に『願わくばわれ太平洋の橋とならん』と刻まれているのは日清・日露戦争から日中戦争へ向かって行く好戦的な時代背景の中、平和主義を唱え続けていて、旧5千円紙幣には地球をディフォルメして中央に太平洋が描かれているのが象徴的である。

 本題はここから。記念公園は稲造札幌遠友夜学校跡地(1894~1933)で、メリー夫人の実家に引き取られて育てた孤児(女性)の遺贈1000ドルで校舎を作り、勤労青年や晩学者の夜学のために開設され、当時珍しい男女共学、学費無料の私設夜間教育施設として5千人以上が入学し1000人以上が卒業、教師は同年代の札幌農学校の学生500人以上が無償で教えていた。

 遠友夜学校は戦後、新渡戸氏の志を継いで札幌市勤労青少年ホームとして建て替えられ、2015年に現在の記念公園となった。

 遠友夜学校の名前の由来は論語「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」から遠と友と結び、学問を通じて仲間を大切にする精神なのだろう。武士道にある義・仁・礼・誠などの精神が繋がって北海道を熱くして来たと思える。

 当時の夜学生募集ビラには「年齢 性別関係なく 働きながら いつでも 月謝なし 先生は諸君の友達です」と記されていた。

 北海道命名150年の中の一話でした。【田所】

肖像画:Wikipedia/遠友夜学校写真:札幌市教育委員会