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龍馬と武四郎とカイノーたち

  龍馬は蝦夷地行きを目指していた。暗殺の3年前(1864)には同藩脱藩者北添佶磨(きつま)が龍馬の意志を繋ぐように蝦夷地を探索しながら、当時ロシア南下防御のため幕府の命を受けて蝦夷地を探検していた地理学者・松浦武四郎(1818~1888)へ書簡を送り訪問(1864)も行っていた。

 北添佶磨は松浦武四郎から蝦夷地の絵図を受け龍馬へ手渡したかったようだ。松浦武四郎は9800語に及ぶアイヌ語の地名などを記録していて、龍馬の蝦夷地入りには欠かせない情報源であった。

 松浦武四郎は松坂商人越後屋・三越で有名な三重県松坂市出身。

 1845年28歳で蝦夷地に入り41歳まで6度探検し、樺太や択捉、国後などへも足を延ばしており、当時松前藩や和人商人などに不当交換率(場所請負制度)や強制労働、搾取横行で虐げられていたアイヌの人々の中に入り込み、寝食を共にしアイヌ文化を尊敬し絶大な協力あっての成果が残された。

 開拓使判官松浦武四郎は蝦夷地改名にあたり、海北道、日高見道、海島道、千島道、北加伊道の中から、北道と命名(1869)した。アイヌの地カイと呼ばれ、お互いをカイノー(貴人)と呼び合っていた。武四郎は北海道はアイヌの地であることを地名に刷り込んでいた。

 坂本龍馬と松浦武四郎が当時実際に出会っていたと妄想。きっと物凄いパワーが巻き起こり、北海道独立国家も 夢~夢 歴史は面白いぜよ。

 坂本龍馬2017年11月15日で没後150年。松浦武四郎2018年で生誕200年。

 アイヌの地北海道〔:カイ〕の文字に母が写る。龍馬の援隊に母の思慕を感じる。 【田所】

 

付け足し 帯広銘菓六花亭は千秋庵の暖簾分けで当初は帯広千秋庵(1933)が現在の六花亭

蛇 足  TV・携帯会社CM白色犬カイ君は北海道犬。その昔アイヌ犬と呼ばれ優秀な猟犬(鵡川町出身)

 

画像提供:松浦武四郎記念館・SoftBank