当時の道新記事にはシンガー・ソングライター吉田拓郎の代表曲♪~絞ったばかりの夕陽の赤が水平線からもれている 苫小牧発仙台行きフェリー~『落陽』よしだたくろうLive73収録/にちなんだ記事であり、自分も当然コレクションしている。
『落陽』を作詞したのは岡本おさみ(故人)。吉田拓郎の代表される歌を多く作詞し、LPレコード「人間なんて/1971年7月」の中に収録されている『花嫁になる君に』から始まり、1972年一ヶ月でアルバム40万枚を売り上げた「元気です」には♪~浴衣のきみは尾花のかんざし~『旅の宿』や♪~祭りのあとの淋しさが~『祭りのあと』など岡本おさみ作詞6作品が収録されている。
彼の代表作『襟裳岬/えりもみさき』は襟裳で出会った人々とのいつもの暮らしを綴った詩情豊かなもので、森進一が歌い全国に流れその年のレコード大賞に選ばれたのだが、襟裳住民は♪襟裳の春は何もない春です~とは何だと激怒していたとか。そして強い風の町襟裳岬に大勢の観光客が訪れ、今もバイカーを始め晴れた日には賑わっている。
しかも♪~寒い友達が訪ねて来たよ~遠慮はいらないから暖まって行きなよ~のフレーズから最初の曲名が『焚き火』だったそうな。焚き火じゃなくて♪~北の街ではもう 悲しみを暖炉で燃やし始めてるらしい~で暖炉だろ、でも曲名『暖炉』だと『ペチカ』のような童謡唱歌のイメージになるので『襟裳岬』マル。
想像だが岡本おさみは襟裳から当時国鉄日高本線に乗り苫小牧に降り立ち、苫小牧の歓楽街通称「親不孝通り」で、酒や女より賭博好きでスッテンテンの老人と出会い『落陽』を書き、いつものように作曲者拓郎へ郵便か電話で伝え、レコード「よしだたくろうLive73」でリリースした。
推測だが彼の年齢31~32歳の頃~彼は苫小牧発~仙台行きフェリー(午後7時出港)に乗り、老人に見送られ2個のサイコロを受ける。賭博チンチロリンにはサイコロ3個なければ…。♪~あの爺さんときたら わざわざ見送ってくれたよ~光陰矢の如し、自分も既に爺さんになっている。
『落陽』が発表される以前に何度か自分も友人と東港フェリー乗り場に車を止め、夕日を眺めていた情景が脳裏に残り思い出深い。
♪~土産にもらったサイコロ2つ 手の中で振れば~また振り出しに~もどる旅に陽が沈んで行く~岡本おさみや苫小牧にいた博打好きの爺さんは今は亡くなり、サイコロ何度転がしても人生もう戻れない。自分の青春時代と重ねて…。【田所】
写真提供:北海道新聞社