沖縄は雲天が多かった中普通の観光客以上に高校修学旅行や女子の卒業旅行グループ、訪日客で溢れかえっていた。修学旅行は韓国からも多い。
ホテル(328室)は那覇市の高台、首里城へは徒歩20分程度の所に位置し、千歳のANAクラウンHクラスで部屋も立派級で広くフィットネスやプールも楽しめ、眼下に那覇の街を見下ろしビルの上に海の水平線が目に写る。
フロントの🚺さん食事ゼロプランなのに朝食3回分のミールクーポンが手渡され「ラッキー」と喜ぶも🚺さんのミスと分かり、複数の客にも発行してしまい申し訳ないと1回分のみに切り替えるとの対処案だったが全てを返却した。後日🚺さん感謝の言葉。更に予約した観光バスは当地に送迎サービス。
観光バスが立ち寄り9時間コース(30名席に対して28名)に乗車。ミニ万里の長城を思わせる今帰仁城から美しい古宇利島ビーチと巡り、バスガイドの米原(ヨネバル)🚺さんが三線で「島んちゅうの宝」をウチナーグチで熱唱~目頭が熱くなり感動!
元々ヤマト言葉がベースだったウチナーグチは沖縄方言。六世紀頃から別な道を歩みだしたそうな。例えば「イチャリバーチョーデー」は「行き会えば兄弟」チョーデー=兄弟と成るようです。母音のエとオの使い方が合わないようで(オ)キナワ=(ウ)チナーの発音。琉球音階も以前紹介していますが、レとラの音階が苦手で、レとラが半分以上で作られている「君が代」は歌いづらいと聞いている。
海洋公園近隣のホテルレストランでランチビュッフェ。28人のツアーなのに団体室で1テーブルに一人の設定。3人だけの大変奇妙なシーン~食事を終えているのに佇んでいる外国人一人。食後美ら海水族館に移動を始めると後について来る気配で振り向くと佇んでいた外国人。そしてカナダ人R.H氏80歳と行動を共にすることにした。
若いとき自分はNYスタートからカナダ横断旅の経験があり、トロントは大きな街で…と単語を並べると、彼はスマホでトロントの北東の街に住んでいると地図で示し、馬がファミリーだと写真を見せた。巨大水槽でジンベイザメやイルカショーを二人で見て、会話は互いに出来ないが印象深い2時間を過ごすことが出来た至高の思い出となった。
旅は歩きが大事。街の風景や商店街、敢えて道を尋ねたりして行く。食べ物は特に重要視しない旅スタイルだがソーキそばやお肉屋の200gビーフステーキ1100円。スパムとライスを使ったスパタマや毎日堪能オリオンビールがすぐ手に入る。
ホテルにはファミンチュ(ファミリーマート)があり、オリオンビールや焼酎の「隼人」ソーダー割り、バーボンJIM BEAMの小瓶で戴いた。
ワールドには鍾乳洞玉泉洞があり、全長5㎞の東洋一の距離のうち890mの洞内探検。沖縄伝統舞踊エイサーは念仏踊りをアレンジし太鼓の舞は迫力満点。ハブ館を回って寅さんを思い出す。白黒TVドラマでの寅さんは(クマさん名だったか?)沖縄でハブに咬まれ死亡~ファンからの熱望~映画で蘇った。
旅先であれば必ず立ち寄るのが博物館や郷土館。ワールドには琉球王国城下町、県庁近くには沖縄歴史館350円、首里城400円、県立博物館(70歳以上無料)に触れ、歴史文化は楽しいロマンが溢れだすよね。
首里城の展望台からホテルが身近に見えた。
沖縄の浦島太郎伝説では乙姫様が散歩中に落とし物。太郎が拾って感謝として竜宮城でおもてなし。元に戻って太郎は玉手箱を開け鶴と化し天空に舞い昇り「桃源郷の神」に成ったとさ。乙姫様の衣装からも竜宮は沖縄!?亀もいじめっ子も出ないお伽話。
生徒数47人のこのクラスでは「みんなの安心」と書かれた星条旗柄の重たい荷物を、誰かが持たなければならない。だが、先生も46人の友達もずっと「沖縄君」に押し付けたまま。
46人のお友達が嫌だって言っているからしかたないと先生は弁明する。沖縄君が「苦しい」と言うと、A君は「みんなの安心をどうするのか、対案もないのに困っちゃう」。B子はくすくす笑い、C君は聞こえないふり。重い荷物は米軍基地~中略~くすくす笑いや聞こえないふりは、もうしてはいられない。
ウェブサイト「マガジン9」/映画監督:三上千恵子氏コラムより
生前父は旅券(パスポート)を手にしての沖縄旅行。徴兵の経験がある父は戦争経験を背負って…。
沖縄返還1972年5月15日当時19歳。この度パスポート無しでの観光旅行でリフレッシュ。コラムを思い出し旅の重さも感じた。見えない重さを。【田所】
画像:オリオンビール株式会社、SUNTORY、ポーたま、沖縄歴史博物館、沖縄県立博物館・美術館