菅原道真公(845~903年)は学問の神様として天満宮に祀られており、平安朝始まって以来の秀才と謳われ、数年に一人しか受からない最難関の試験「方略試」に合格し後に文書博士の地位についた。
道真公は唐を手本としていた国政の立て直しに、三百年続いた遣唐使の廃止や律令制度の改正などの改革を行い日本風クールジャパン化に影響大。
後醍醐天皇即位により右大臣となり国政の主導権を握るも、最高権力者藤原氏の御曹司でもある藤原時平は歌舞伎(菅原伝授手習鑑)では悪役として登場するも、古今和歌集を完成させ、ひらがなを普及させた第一人者。古くから唐を模範(コピー)とする国政や文化から意識も日本風に切り替え、ひらがな文化は「源氏物語」「枕の草子」や十二単、神殿造建築などの国風文化に繋がって行く。
年齢差や立ち位置関係など道真が某官房長官なら時平は・・・・・といった印象かな。
左大臣藤原時平によって道真公は筑前国太宰府へ左遷され、都をお発ちの時庭前の梅に別れを惜しまれて「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と詠まれ、この梅が天神様(道真)を慕い一夜で飛来し生え匂ったそうな。飛梅伝説のお話でした。
天満宮のすぐ側には茶屋が並び表参道には土産物店が賑やか、多くの店先で梅ヶ枝餅を焼いて売っている。映画に出てくる柴又のとらやのような店の奥でお茶を戴き♪~僕は半分~ではなく1個喰べた。賞味期限1日と言われ、翌日当会の役員会に集まった会員さんと一緒に戴いた。故事にある道真公を追って都から一夜で飛んで行った飛梅のように一夜で千歳に飛んで来た梅ヶ枝餅でした。
天満宮で引いた御神籤(おみくじ)は運気上昇の運勢〔大吉〕でした。ただし はしゃぎすぎ、調子に乗りすぎないように心掛けよ…とも。【田所】
【道真公トリビア】雷が落ちるとクワバラ~クワバラと唱えるのは道真公が住んでいた京の地桑原だけは雷が落ちない場所であったという言い伝え。桑原は今の京都のどの辺りかな…桑原・桑原。
写真:太宰府天満宮HP /梅ヶ枝餅:Amazon