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富山の先用後利

 富山の薬売りは顧客本位の商いとも言える『先用後利』は三百年続き、懸場張で顧客管理する配置薬システムで日本的で独特な商人道。

 中部地方越中富山は江戸時代資源の乏しい小藩、ノコギリ商法で有名な滋賀の近江商人の海産回しを真似しておあつらえ品(注文品)などを扱うも反映までの道はほど遠く、隣藩の加賀藩からは隷属として扱われ閉鎖的、排他的な時代背景の中、商人たちの知恵・工夫と努力の積み重ねにより築かれ、江戸城腹痛事件などの逸話も含めてきた。

 富山商人は漢方薬の原料を中国や南方諸国より輸入した長崎・大阪から仕入れ、製剤し全国に売り歩いた。

 生薬とは動物・植物の部分や細菌内容物・分泌物・抽出物・鉱物などからの成分であり、新薬の多くは石油から成分を作り出していると聞く。

 蝦夷地には寛永期(1624年)頃に十数名が松前で出店の歴史。石狩川を辿って1888年栗山の開拓村を通り、千歳へも来ていて東側にある泉郷地区の獅子舞は富山の水橋の獅子舞で百年前に伝わる。

 富山の薬売りは日本海側の集落を巡り各地の情報や時として農業指導も施し、薩摩に江戸の昆布をも流通し古くから琉球料理に昆布が使われていたのにも富山の薬売りの歴史がある。

 我が家には持病薬以外に配置しているのが生薬である太田胃散と龍角散と目薬と期限切れのオロナイン軟膏のみ。風邪薬や頭痛薬などは暫く置いていない。

 太田胃散は酒飲みなので時々使用する「ありがとう~いい薬です」明治維新後三重県松坂の太田伸義が上京して、蘭国のケイとハッカから処方した生薬と出会い、後に売薬業の知人と改良開発し、明治14年(1881年)雪湖堂の胃散で大人気となり、戦後企業整備令で薬メーカー30社がまとまり東興製薬を経て太田胃散に改社名。TVCMでは前田武彦を起用し、ショパンのBGMも優しく好評。

 幼き頃から喉が弱く喘息だったこともあり龍角散は手放せなく特に冬場は何度も使う。龍角散は歴史が古く江戸中期秋田佐竹藩の御典医藤井家の秘薬・藩薬として龍骨(動物の化石)、鹿角、龍脳(植物の精油や草木根など)を混ぜて処方した喉薬を1877年東神田に薬店開業。

 1889年にはキキョウ・セネガ・カンゾウ・キョウニン成分などを処方し微粉末状にし、TVCM「ゴホンと言えば龍角散!」がお馴染み。

 新薬は殆ど服用しないので使用すれば即効かもしれないが体に優しい生薬を服用している。規則正しい生活とバランスのとれた食事、ほど良い睡眠が一番の薬だと信じている。【田所】

画像:株式会社太田胃散、株式会社龍角散